HISTORY八重椿の歩み・沿革

創業明治37年。
明治から令和まで、創業からの歩みをご紹介いたします。

昭和1926~1989

1931昭和6年5月
二代目店主に伊藤恵十郎 店主が就任し、商号を『三友商会』と改める。八重椿香油・ヤエツバキポマード・ケイラン髪洗粉等の商品を製造販売した。
1939~45昭和14~20年
第2次世界大戦
1943昭和18年
『三友商会』(伊藤香油店)を廃業し、伊藤製作所を設立する。通信機の部品組み立て工場に転換し、大手電機メーカーの協力工場となる。
1945昭和20年3月
東京大空襲により、店舖・工場が消失した。
1946昭和21年3月

第2次大戦中、一時中断していた化粧品を本格的に再開し、「三友商会」を復活する。浅草橋に工場兼店舖を建て、八重椿香油やヤエツバキポマードなどの製造を再開した。出典元:一般財団法人 日本粧業会

1946昭和23年
ミネラルオイル配合新処方の新ポマード『Kブリアン』が大評判をよび、「三友商会」は業界で注目を集めるようになる。女性用ヘアオイル『髪の香り』を発売し人気商品となる。
1950昭和25年
株式会社八重椿を設立し、東京本社、大阪支社体制で、事業拡大を目指す。
1951昭和26年

八重椿フラワー香油を発売する。香の良さが評判となり売上を伸ばす。

1954昭和29年

特約店「ゴールデンサークルストア」戦略を展開し、専用商品八重椿ゴールデンシリーズを発売する。

大型販促企画を特約店向けに打ち出し、地域を代表する大型問屋との取り組み強化を図る。

昭和29年 特約店向け販促企画広告※

1955昭和30年

特約店戦略が不調に終わる。売れ行きを伸ばすために、特約店・チェーン店網を全国に広げる戦略に出たが成果は薄かった。

1957昭和32年10月

製造会社八重椿本舖を設立し、製造会社として再出発する。販売主力商品を11品に絞り、販売を開始する。

1957~71昭和32年~46年
生産拡大に伴い浅草橋に第1工場、第2工場、第3工場を建設する。
1963昭和38年10月
大手化粧品のポマード、チックのOEM生産が始まり、浅草橋第3工場が主力工場となる。
1965昭和40年9月
エアゾール製品を製造する浦和工場が稼動開始する。
1968昭和43年
株式会社クロイスターケミカルズを設立する。 初代社長に花岡康之社長が就任する。 本社:東京都台東区浅草橋4丁目2番2号 浅草橋で化粧品製造業の許可を取得する。 従来の市場に無い様な、「新しい」「魅力的な」製品を開発しようという花岡康之社長の計画のもとスタートした。 「ガラスクリーナー」「くもり止め」を製造。宣伝に「バーブ佐竹」「小川とも子」等のタレントを起用した。
1970昭和45年12月

平塚工場を開設し、大手メーカーのOEM工場としてスタートした。

1972昭和47年
東京都「夢の島」埋め立て処理場に、新開発した消臭剤を大量納入する。
1973昭和48年
財団法人日本環境衛生センターと提携し、臭気公害測定事業を始め、主に専売公社のタバコ製造工場、大手自動車工場、の臭気測定を行う。 大手トイレタリーメーカーの家庭用品の開発協力を行い、香料及び製品の製造を手掛ける。 環境衛生関連の功績により環境庁の「臭気対策研究会」の委員を委託される。
1974昭和49年
開発部を新設し、開発部員を8名に増員、雑貨製品の開発を開始する。
1977昭和52年
クロイスターケミカルズ、八重椿本舖営業部を吸収する。
1977昭和52年6月
消防法改正により、都内では可燃性原料による製造業が困難となり、エアゾール・アルコール製品が制約される。 これに伴い、埼玉県久喜市の菖蒲(しょうぶ)団地に浅草橋3工場と浦和工場を集約した新工場(埼玉工場)を建設し、クロイスターケミカルズに移管する。
1982昭和57年4月
第2代 伊藤恵十郎社長叙勲  勲五等瑞宝章
1984昭和59年
入浴剤天然ヒノキ油を多量配合した酵素入り「もりの泉」を販売開始する。
1986昭和61年
大手メーカーの入浴剤OEMを始める。入浴剤生産ラインを平塚工場に整え、「もりの泉」の技術をもとに設備の自動化することで量産体制を整える。
1986昭和61年6月
浅草橋イトウ第2ビルに営業所を移転する。
1988昭和63年
平塚駅前MNビル(日本生命三菱銀行ビル)に平塚事務所を新設。 平塚「梅屋」、箱根小涌園「ペガサスタウン」に『ベネトン』ショップをオープン。 業務用シャンプー、リンス開発生産をスタートした。

 クロイスターズについて

広告の歩み

※出典元:一般財団法人 日本粧業会

CONTACTお問い合わせ

お問い合わせ