創業明治37年。
明治から令和まで、創業からの歩みをご紹介いたします。
明治1904~1912
大正1912~1926
昭和1926~1989
平成1989~2019
令和2019~
初代の伊藤春治店主が江東区新大島3丁目18-9において『伊藤芳春堂』の商号にて、椿香油等の髪油製造販売を開業した。
初代 伊藤春治 店主
二代 伊藤恵十郎 店主
出典元:一般財団法人 日本粧業会髷や日本髪を結う時に使う整髪剤で、主要成分は木蝋と植物油です。鬢付け油の種類によっては松脂を混ぜたり、丁子その他複数の香料で製造した純植物性の固練りの髪油です。
東洋を代表する名花「椿」は「ジャパンローズ(日本のバラ)」と呼ばれ、花木の貴族とたたえられた日本固有の植物です。古来より珍重され花を楽しむだけでなく「椿油」はヘアケア、スキンケア、食材として利用されました。その優れた「椿油」をベースに気品のある香りを付けた髪油が椿香油です。
出典元:一般財団法人 日本粧業会二代 伊藤恵十郎 店主が、日本粧業「グラフ粧業100年」
1967年3月28日号 明治100人に選ばれる
関東地方を襲った大雨洪水の影響で製造設備を流失する。
関東大震災により店舖と製造場を焼失する。
第2次大戦中、一時中断していた化粧品を本格的に再開し、「三友商会」を復活する。浅草橋に工場兼店舖を建て、八重椿香油やヤエツバキポマードなどの製造を再開した。出典元:一般財団法人 日本粧業会
八重椿フラワー香油を発売する。香の良さが評判となり売上を伸ばす。
特約店「ゴールデンサークルストア」戦略を展開し、専用商品八重椿ゴールデンシリーズを発売する。
大型販促企画を特約店向けに打ち出し、地域を代表する大型問屋との取り組み強化を図る。
昭和29年 特約店向け販促企画広告※
特約店戦略が不調に終わる。売れ行きを伸ばすために、特約店・チェーン店網を全国に広げる戦略に出たが成果は薄かった。
製造会社八重椿本舖を設立し、製造会社として再出発する。販売主力商品を11品に絞り、販売を開始する。
平塚工場を開設し、大手メーカーのOEM工場としてスタートした。
クロイスターズについて
海外企業からの化粧品製造の技術協力に尽力し、人的交流が始まった。
JR新幹線のトイレの無臭化に協力することになり、当時の循環式トイレの消臭に成功した。循環式トイレが新型になるまで、継続的に使用された。お召し列車には必ずこの消臭剤が使用された。
大手メーカーの芳香剤、脱毛剤等のOEMを埼玉工場で開始する。
厚木工場(厚木第1工場)を開設する。
(神奈川県厚木市上落合441-1)
八重椿本舖三代目社長に花岡康之社長就任する。
厚木工場(厚木第2工場)を開設する。
(神奈川県厚木市上落合450-1)
厚木工場(厚木第3工場)を開設する。
(神奈川県厚木市上落合450-2)
厚木研究開発センターを設立し、研究開発部門を移設する。
クロイスターケミカルズ二代目社長に花岡秀典 社長就任する。
船子工場を開設する。(神奈川県厚木市船子133-1)
埼玉工場を閉鎖する。
経理部門、企画営業部門を浅草橋から浜松町へ移設する。
京橋に本社を移転する(京橋フォーチュンビル)。
伊勢原工場新設と同時にクロイスターケミカルズの工場となる。厚木第1、第2、第3工場業務を伊勢原工場に移設吸収する。厚木第3工場を改装し、新厚木工場として設立する。
浜松町に本社を移転する(浜松町スクエアスタジオ)。
八重椿本舖四代目社長に花岡秀典 社長就任する。
社名変更 事業内容を化粧品に軸を置いた展開にシフトするため『クロイスターケミカルズ』の社名を『クロイスターズ』に変更する。
八重椿本舖平塚工場の耐震補強工事にともない、液物充填設備を伊勢原工場に移管、チューブ充填設備を厚木工場に集約し、生産組織も新体制とする。
八重椿グループの製造部門を八重椿本舖に集約する。伊勢原工場はクロイスターズから八重椿本舖の工場となる。
平塚に総合研究所を設立し、研究開発部門を厚木から移設する。
八重椿本舖平塚第一工場耐震補強と改装を終える。
厚木工場生産品を平塚工場へ生産統合する。
厚木工場を廃止する。
岡田工場の改装を行い、生産承認を得る。
伊勢原、平塚、船子と合わせて4工場体制とする。
クロイスターズ・オンラインショップをオープンした。
クロイスターズについて
伊勢原工場第二倉庫を運用開始する。
伊勢原第二工場竣工